
最近すっかりご無沙汰の根津です。ご覧頂いてありがとうございます。
この度、東京・台東区のqumさんからお誘いを頂きまして、私が撮りためていた写真を何点か飾らせて頂くことになりました。

qumさんのブログに写真掲載して頂いた私の本の表紙に写っているのは、実は「いすみ鉄道」なのですが(笑)、今回の写真展には、私が数多く写真を撮った、茨城県の「ひたちなか海浜鉄道」の風景に絞って飾らせて頂くことにしました。また機会があれば、他の鉄道の写真も飾って頂けたらと思います。

夏休み期間ですから、是非お子さんに楽しんで頂けたら。そして、こんなDCが走っているのなら、ちょっと上野から行ってみようか…と、ひたちなかまで足を運んで下さる方がいれば、作者としてはこの上ない喜びです。お時間がある方は是非よろしくお願い致します。
下手な素人写真ですが、お茶しながら眺めて頂けたら望外の喜びです。

8月5日〜17日(期間に変更のある場合があります)
「愛しのDC展」〜ひたちなか海浜鉄道編
Cafe qum/Leonidas谷中上野桜木店:東京都台東区上野桜木2−10−5 Quinto1F
JR・京成・日暮里舎人ライナー日暮里駅南口・JR鴬谷駅北口・東京メトロ根津駅・徒歩10分
都営バス上26 谷中 /台東区循環バス 東西めぐりん 旧吉田屋酒店 下車すぐ
http://qum.blog.jp/archives/10735375.html
Twitter:yoshikame_store FB : https://www.facebook.com/qumUS/
スポンサーサイト
- 2014/08/03(日) 18:47:12|
- 雑記
-
-
| コメント:0
ストレスというのはいつの間にか溜まるもので、それは仕事から来るものだと相場が決まっている。普段ストレスとは無縁な生活をしている私だが、その日は妙にストレス発散をしたい気分であった。
というのも、仕事が一段落したこと、そして何より、朝から晩まで仕事漬けになっていて、自分らしい生活リズムで生活できていなかったのが一番の原因だろう。要は「遊んでいない」状態だったのだ。
何となく午前中、ためらいもあって腰が重かったのだが、妻とのやり取りから、ふと出かける決意をした。と言ってもお昼をとうに回り、ワイドショーが始まるような時間になってしまったから、あまり遠出は出来ない。かねてから用意していた「青春18きっぷ」の初日をここで使うのは何とももったいないが、そんなことは言っていられない。少なくとも1日分の2,300円以上の行程を消化し、かつ小旅行という気分を満喫し、なおかつ未乗区間の乗りつぶしにもなれば良いかと思い、ふと考えて、地下鉄の駅に向かった。
「青春18きっぷ」は春夏冬休みに合わせてJRが発売するフリーきっぷ。18歳じゃなくても、青春じゃなくても買えるし、使えるのだが、つい先日「青春じゃないじゃん!」と冷やかされたばかりだ(笑)
このきっぷは、全5日間分、全国のJR線の普通と快速が乗り放題というもの。特急や急行に乗ると、その区間は普通運賃もかかるのだが、普通列車のグリーン車は、グリーン券を買えば乗れる。
今日の旅の始発は、御茶ノ水駅。中央線快速で東京駅へ向かう。ここで、こんなに暑いのに、ハンカチを忘れたことに気づいた。これは東京駅で買わねば… よって、東京駅ではまずKIOSKに向かい、ハンカチとついでにティッシュも買って、身だしなみを整える。よく昔、母に「ハンカチ、鼻紙、定期に万年筆」とチェックされていた父を思い出す。玄関先でおまじないのように唱えて出て行ったものだ。
KIOSKの脇の駅弁センターで、鶏飯弁当をお茶と一緒に購入(950円)、14:33発、快速アクティ熱海行きに乗り込む。ここでのポイントは、グリーン車。そう、各駅停車のグリーン車は走っている線区が限られているが、東海道線はほぼ全車グリーン車着き。つまり駅弁を広げてもおかしくない車両だと言うことだ。
もっとも、あまりに空腹だったからか、東京駅で広げた鶏飯は、品川に到着する前にキレイに私の胃袋に到着してしまった。あとはひたすら景色を眺めて至福の時を過ごす。
と、品川から乗ってきた上品そうなご夫人が、Suicaにグリーン券情報が書き込まれていない様子。どうやら、自動券売機で切符を買ってしまったのだが、Suicaに書き込まれたと勘違いして切符を取らずに来てしまったらしい… 車内の女性アテンダントも困った様子。
ところが、そのご夫人、自分がもう一度料金を払わなければならないと分かった瞬間、大きな声で「最低ですね」と。一瞬車内が凍りついた。「最低」なんていう品の無い、頭の悪い小学生のような発言を、初老の上品なご夫人がのたまうとは思わないわけで、車内がシンとしてしまった。
悪いのはアンタなのに… キレもせず、終始「もうしわけありません」的な対応で乗り切ったアテンダントに軍配が上がったように思う。それにしても、「人の振り見て我が振りなおせ」である。理の通らないことは言わないにこしたことがない。
さて、15:23、私の乗ったアクティは、茅ヶ崎駅に滑り込んだ。ここから今日の第一目的である「相模線」に乗車する。以前は赤いディーゼルカーが長閑に走っていたローカル線区だが、いつの間にやら電化されて(と言っても、私が大学時代にもう電化されているのを確認していたので、もうかれこれ15年近くになるのか… とにかく4両編成の相模線が停まる短いホームへ向かう。
私が乗る15:36発橋本行きは既に入線していた。205系というステンレス車体の車両で、埼京線や横浜線あたりで見かけるタイプのものであるらしいが、相模線用は若干顔つきが異なっている。どうも私はこのステンレス車両というのが好きではないのだが、首都圏は軒並みステンレス車両になってきた。何となく殺伐としているというか、いかにも経費削減してます…という感じなのが嫌なのだが…
ホームに降りてみて困ったことが。
扉が閉まっているのだ。中に人は乗っているし、クーラーも効いている。
「どうやって乗るんだ?」一瞬困惑して、どうしようかと思案する。
すると地元の方が何やら勝手に扉を開けている。よく見ると、ドアの脇にボタンがついていて、ボタンを押すとドアが開くしくみ。冷房効率アップのため、また冬期は暖房維持のため、ドアはボタンで手動式のようだ。間違ってはいないと思うが、困惑するのは確かだ。
さて、橋本行きは定刻通り走り出した。どんな列車であろうと、初めて乗る線区の列車が走り出すあの瞬間が、この児戯にも似た趣味の一番の醍醐味。ゾクっとくる瞬間である。線路は左にカーブを描き東海道本線を離れ、列車はこの単線ローカルの線路をひた走る。押しボタン式なので、駅についてもドアは開かないという不思議な感覚は離れないまま、寒川に到着。
以前はここから1駅だけ、西寒川支線が分岐していた。これまた電化と前後して廃止されたようだが、1駅だけの支線、往復本数の少なさから、注目をし続けていたところだったのだが、本当に気づいたら無かった…というのが一番近いと思う。
寒川を出ると、左手の車窓に丹沢の山々が見えて来る。なかなか山を見る機会もないので、東京モンには清々しい感じがするのだが、地元の乗客には空気や水程度の存在なのかもしれない。
倉見駅では、真向かいに座っていた、祖母と孫と見られる3人連れが降りていった。どうやら兄弟だけで祖母の家に遊びに来たらしい。虫取り、川遊びなどの話をしきりにしていた。3人が降りた後の倉見駅の外は、驚くような蝉時雨。
途中、「シェイク(shake)」という駅…
いや、「シャケ」と読む駅なのだが、「鮭!?」と思いきや、「社家」であった。東名高速のほぼ真下に位置し、大きなジャンクションが作られている。
社家を過ぎると厚木、海老名と、この線で最大の中間駅へ。小田急との接続駅でもある厚木は、かわいそうなほど小さな、交換設備も無い駅。駅真横にある相鉄の引込み線の方が立派だったりする。海老名から厚木まで相鉄の線路があるということは、相鉄もまだ延長が可能だということか?
海老名は小田急、相鉄、相模線の乗換駅。
この駅には思い出がある。4度目(!?)の大学2年生の年、ネックだった単位は「体育」 何故か体育が1限に設定されていることが多く、出席がなかなか出来なかった当時の私は、体育のために最後の1年は留年したようなもの。そこで、木曜の午後に設定されていた「ゴルフ」を選択した。しかし、このゴルフ、実はグラウンドが伊勢原なのだ。大学に毎木曜バスが来て、約1時間移動して伊勢原グラウンドに到着。80分間「打ちっぱなし」をやるという授業だった。しかもアイアンと小さな人工芝のみ。先生は道具を揃えたら、「打てぇ!」と指示して終わり。それでも1年間打ちっぱなしをやれば、どうにかこうにかいい飛距離とコースで飛ぶようになる。面白い経験だった。
帰りはバスではなく、小田急の切符をもらって各自帰宅。私はよくこの海老名で降りて、相鉄に乗り換え横浜まで行って、横浜からは総武横須賀線快速で千葉の自宅まで帰ったものだ。帰りの車中で週刊文春を隅から隅まで読んだ記憶がある。椎名誠の連載が好きだった。
さて、この海老名だが、見ても小田急・相鉄に分がある。横浜へは相鉄、新宿・町田へは小田急と、実は非常に利便性の高い駅なのかもしれない。相模線は端っこに追いやられ、ポツンと小さな駅で発着している。それでも相模線は時刻表を見る限り15~20分ヘッドで運転されているし、24時台まで電車が設定されているから、それほどローカル線で利用客が少ないわけではなさそうだ。
海老名から入谷(ここにも「いりや」があった)、相武台下、下溝と続く駅は、絵に描いたようなローカル線の駅。特に入谷駅ホームから見える丹沢の山々、相武台下の平屋の駅舎(跨線橋の下にはかつての構内踏切の名残が…) それにしても、待ち合わせ時間が長く数多いのが驚く。記憶にある限りでも寒川、海老名、相武台下で2分~4分… 単線区間なので仕方ないものだが、せっかく電化してスピードアップしても、これでは所要時間があまり変わらないのではないかと思う。
番田、原当麻(「はらたいま」と読む)、上溝と過ぎて、少し近代化された路盤と、市街地の雰囲気になってきたところで、16:41終点橋本に着いた。これは茅ヶ崎から東京駅に行くよりも時間がかかっている。ローカル線はかくもノンビリ走るものだと微笑ましく思う。
橋本からすぐに来た16:43の横浜線に乗り換え、八王子に向かう。相模線も朝夕は八王子へ乗り入れているようだが、長大な横浜線に4両の相模線が入ってきて迷惑ではないのだろうか?(笑)
横浜線のここも未乗区間。子供連れが多い車内を見ると、やはりベッドタウンなのだと思う。いつの間にか6扉車まで導入されているので、朝夕は相当込むのだろう。昔の横浜線など、茶色い旧国電が走る一ローカル線に過ぎなかったのだが…
相原~八王子みなみ野で、かなり長いトンネルを抜ける。多摩の丘陵を抜けたのだろう。八王子みなみ野は新しい駅だろう。ネーミングが平成である。こういうとって付けたような人工的な町の名前は実に味気ない。「街」というより「居住区」という感じがして、文化が無い人工都市を感じるから嫌なのだろう。
その昔、先代社長が千葉ニュータウンに引越し、そして新店舗を開店しようとした時に、その地域が全て「第一種住専」という指定区であることに怒りを覚えていたのを思い出す。そして「町というのは、キレイなところがあって、飲み屋街のような猥雑なところもあって、初めて町と言えるんだ」と熱く語っていたのを思い出す。役人主導で作った人工的な居住区のような「街」にワザワザ出かけてくような魅力は無い。自然に人が集まり、昔から人が住んでいる町には「文化」がある。下町や谷根千のようなところには、自然と人が集まるのだろう。
そんなことを思っていると、わずか10分程度で八王子に到着。横浜線は随分端っこに追いやられているようだ。
連絡階段を上がり、今度は八高線ホームへ。中央線と同じホームなので人でごった返している。相模線のローカルムードとは大違いだ。
八高線は中学時代に乗りに来たことがある。こちらも相模線同様、赤いディーゼルカーが長閑に走っていたが、一部電化されたとのこと。時代を感じる。実際、どこにでもあるようなステンレス車両が入線してきてガッカリしたのだが、それでも「八高線」という響きに免じて許してあげようと思う。
17:22、随分と趣の変わった八高線は軽やかにスタート。隣の北八王子ではかなりの乗車率になり、電化は地域や時代の流れだったのかもしれないと感じた。
この八高線も押しボタン式の開閉ドア。ただ、これはかなり地元に浸透しているようで、多くの人がドアを開けて乗り込んできたらすぐに車内側のボタンでドアを閉める。常識化しているようだ。開けっ放しにするのはそのルールを知らないよそ者か、無法な若者だけのようだ。
叔父が住んでいた拝島を過ぎ、箱根ヶ崎へ。多くの乗客が降りる。ここも宅地化されているのだろう。駅の手前までは深い森を抜けてきたりしたのだが、駅周辺には開発の波が押し寄せている。田園風景が広がりつつあると金子、長い駅間に耐えると東飯能である。八高線は少々大きな町へ入る手前は高い築堤の上を走る構造になっているように思う。
八高線の中心は東飯能。しかし接続する西武線は飯能と言う隣の駅が中心駅だ。飯能駅はスイッチバックになっていて使いづらいはずなのだが、どうも街の発展も、どちらを中心に進めてよいやら分からないようだ。ちなみに西武線の特急は東飯能は通過してしまう。ここから隣の高麗川まではかなりのローカル風景。ちょっとゾットするような深い森を抜ける。人など通らないような森にぽつんと存在する踏切。きっとかなり面白い写真が撮れるのではないかと期待出来るが、そこへの到達は確実に車でないと厳しいだろう。
18:04高麗川に到着。ここから先の八高線は非電化で、以前写真を撮りに来た際に乗った、緑色の高崎行きディーゼルカーが停まっている。ホームも一段低いのが昔の名残を感じさせる。
そのまま18:08、電車は川越線に入る。川越線も未乗区間。今日だけでかなり乗りつぶし地図に色がつく。夏のこの時期なので、まだまだ陽が落ちない。夕方の郊外の風景。仕事帰りのサラリーマンがボチボチと乗ってくる。的場駅でかなりの混雑になる。西川越の手前で端を渡るが、向こう側に線路が見える。東上線だろう。
川越に着いた電車を降りると、目の前には通勤快速の新宿行きが待っている。車両はりんかい線のものだが、新宿までしか行かない。そのまま乗車したが、ふと一番前に立ってみようと思った。これだけ未乗区間を乗りながら、まだ一番前でかぶりつきになっていない。児戯の如しだが、やはり先頭車両で一番前を見るのは楽しいものだ。様々なものが見えるからかもしれない。
川越線は10両の長大な編成が走っているにもかかわらず、線路は単線。駅で長い電車が交換するという、何ともアンバランスな路線。近代的なのかローカルなのか… 南古谷と指扇の間には広大な水田が広がり、こちらもものすごい写真が取れそうな気がするが、走っている電車がつまらないので話題にならないのであろう。荒川を渡り、指扇~日進間に新駅がほとんど完成しているのを発見。開業も間もないのだろう。こちらも着実に開発されている。
埼京線の大宮は地下ホーム。かなり大きな地下ホームに驚くばかりだが、一体開業して何年経つのだろう? 埼玉県民には「何を今更」と言われそうである。18:51、電車はそのまま埼京線に入り、またまた私の未乗区間を快走し始める。乗った電車は通勤快速なので、何と武蔵浦和、赤羽とものすごい勢いで飛ばしてくれる。大宮というのは非常に遠いところだという印象だったが、この埼京線は実に速く感じる。
赤羽から池袋まではかつて「赤羽線」と呼ばれていて、総武線と同じカナリヤ色の電車が行き来をしていた。妙に興味を覚えていたのだが、ついぞ乗る機会は無かった。当時は非冷房の101系電車が往復していたのだが、今や埼京線の一部に組み込まれ、長大な電車が頻繁に駆け抜けていく。ちなみに、路線の正式名称的には、実はここはまだ「赤羽線」であり、埼京線も実は「東北本線別線」扱い。埼京線という路線は無く、「京浜東北線」「宇都宮線」などと同じく、路線の「愛称」である。
さて、この赤羽線区間に入ると、完全に日も暮れているのだが、十条・板橋あたりは都内には珍しい「地上」区間。踏切も多数ある。かつての「国電」の雰囲気が色濃く残っており、特に十条駅は昔の「国鉄」の駅の雰囲気がかなり残っている。駅前はさながら京成の堀切菖蒲園やお花茶屋のような下町区間のよう。これは楽しい。
そんなこんなであっという間に池袋に到着。ようやく下車。ふだん来ている池袋に、青春18きっぷで降りるという不思議さがたまらない。
少々買い物をしたあと、夕食を。せっかく出たのだから、たまにはとウキウキしながら「天一」へ。ビールに天ぷら御膳食べる。以前は一人でご飯が食べられなかった私。味がしないと言うか、美味しく食べられなかったのだが、最近一人でも1杯ビールを飲んで、ゆっくりご飯を食べ、味わうことが出来るようになってきた。都会暮らしの世知辛さなのか、普段がいつも妻と二人なので、たまの一人を楽しめるようになって来たのかは分からない。いずれにせよ、確実に何かが変わってきているのは分かる。
さて、腹も満たされ、買い物もして、帰宅…
いや、最後に待っていたのは「副都心線」である。開業当時からドタバタで物議を醸したあの問題路線である。やたらに遠い副都心線池袋駅まで歩いて行くと、何と、東上線の人身事故の影響で副都心線は池袋・渋谷間で折り返し運転中だそうで、和光市方面は運転再開のめどが立っていないという。
乗り入れは確かに便利なのかもしれない。しかし、あまりに長大な乗り入れが果たして必要なのかは本当に疑問に思う。今日の旅のスタートで降り立った茅ヶ崎駅の反対ホームには、湘南新宿ラインの特別快速高崎行きが入線してきた。しかし、よく考えると、茅ヶ崎から高崎まで電車を直通させることに意味があるのだろうか? 確かに高崎線が東京まで乗り入れてくれると便利であるから、東京―上野間の煩わしさの解消にはなっているのだろうが、それにしてもそんなに頑張って乗り入れなくてもいいのだ。だいたい、東海道線から高崎線方面へ抜ける需要は一体どれほどあるのだろう?
一番困るのは、群馬での事故や遅れが、神奈川に影響するというところ。うっかり鉄道自殺など出来ない時代だ。一体いくらの賠償責任が来るのだろう?
副都心線も、東京メトロのメンツもあるのだろうが、いっそのこと直通運転などやめてしまえばいい。東上線とは和光市で乗り換え、西武池袋線とは小竹向原で乗り換え。向かい側のホームでの乗り換えにすれば、さほど文句も出ないように思う。乗客もそれでいいのだ。何も1本でいける必要は無いし、行き先が複雑では、特にお年よりは混乱する。だいたい、東上線から池袋に行くとしても、東上線の池袋に着く電車と、有楽町線の池袋に着く電車と、副都心線の池袋に着く電車があるのだから困ったものだ。LOFTに行くには有楽町線の池袋が近いのだが、東武デパートなら東上線池袋がベスト。立教大学なら副都心線がいいだろう。こんな芸当は地元の人間でなければ分からない。よって、ひとたび下車駅を間違えると、長い距離を、池袋の人ごみを掻き分けて歩かなければならないのは、お年寄りには厳しいはず。もう少し分かりやすくすべきだったし、何とも無駄の多い路線だこと。
明治神宮前で降りて、千代田線に。
これで帰ることが出来る。
帰り道に、ふと気づいた。
改札を出ることもなく、御茶ノ水からスタートして、ぐるっと回って池袋に帰ってきた。しかも東京近郊区間。実は、この近郊区間には特別ルールがあるのをご存知か? 重複したり、同じ駅を通らない限り、つまり「一筆書き」である限り、利用線区は自由だというもの。つまり、ものすごい遠回りをして、1日中電車を乗り継いで隣の駅に到着しても、「一筆書き」である限りは130円で行けるというルールなのだ。
御茶ノ水から、線区を重複することなく池袋まで帰ってきたので190円。
実は2,300円も払わずしても、今回は190円で行けた旅だった… 途中下車すれば違ったのだが、なにせその余裕が無かった…
トホホである。
テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用
- 2013/11/17(日) 01:59:50|
- 雑記
-
-
| コメント:0